
藤ロック
しのげ!退屈くん
文:安田謙一画:辻井タカヒロ
海が見たいわって言い出したのは君の方だったかもしれないが、藤が見たいわって言い出したのは妻だった。
格安のレンタカーを借りて、藤棚を観に行った。
さあ、これから藤の話を書くぞと思いつき、気分をたかめるべく、プリンスの「パープル・レイン」と、藤正樹が紫色の詰襟を着て歌っていた「忍ぶ雨」でも聴くか、と思いついたけど、思っただけにした。にしても、藤正樹といい、藤圭子といい、藤竜也といい、藤真利子といい、藤あや子といい、藤という姓を持つ人に、なんとなく藤をイメージさせるものがあるのは、苗字のせいだろうか。きっと、そうだろう。
高速道路を乗り継いで1時間半で、兵庫県丹波市にある百毫寺(びゃくごうじ)に着く。ここにある「九尺藤」は「5月初旬、120メートルの藤棚いっぱいに1メートルを超す花穂をのばし、巨大な紫のベールとなって咲き誇る」(観光パンフより)とされる名物である。

平日とはいえ、ゴールデンウィークの合間、それなりの人込みがあった。ベンチに腰を掛けてソフトクリームを舐めながら、後方の山景色を借景とした藤棚を眺める。近くを歩く観光のひとりがぎりぎりこっちにも聞こえるボリュームで「(今年の藤は)痩せてるね」とひとりごとを言った。やられた。通ぶられてしまった。
妻は「白井大町藤公園」にも行こうという。どうせなら、藤棚を「ハシゴ」してみるのも粋かもしれない。ナビによるとさらに1時間弱。ほぼ和田山やないか、と愚痴のひとつこぼすことなく、車を走らせた。
さきの百毫寺より観光客は多くはない。藤棚を歩きながら、近くを歩く観光のひとりにぎりぎり聞こえるボリュームで「痩せてるね」と私はひとりごとを言った。こうして人は通になるのだ。
藤棚といえば、かえる目『惑星』の倉地久美夫画伯による圧倒的なスリーヴ画を思い浮かべる。観光地としての藤棚は、桜の花見でいうところの、通り抜けのようになっているのだが、あの画にあるように、滝のように垂れ下がった藤の下で宴を催すという世界は今の日本のどこかに存在するのだろうか。
道中、車を走らせながら、いくつかの山あいに咲く野生の藤と遭遇した。見るたび、ハッとするものが、野良の藤にはあった。たまに高速道路の近くに野生の百合の花を見かけることがあるが、いつも、事故の手向け花が身を結んだものかと考える。

ひさしぶりに助手席に人を乗せて走っていると、佐々木好の「ドライヴ」が脳内で再生される。私は決して、ニコニコしながら運転しているわけではなく、助手席からも「対向車が恐くはないか」ときかれることもないが、「人間ってサ、自分は信じられるけど、他人はなかなか信じられないものだ」の一節は思い出すたびに感心してしまう。この哲学が通用しない自動運転というやつはおっとろしいなあ、とも考える。
レンタカーを借りるたびに、神戸市の郊外にある古本屋、ふらり堂を覗く。荷物が増えたので、レンタカーを返す前にいったん家に戻ることにする。マンションの前でカーナビが「この付近は車上荒らしが多発しています」と親切に教えてくれた。
