誠光社

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しのげ!退屈くん

心にのこる町

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しのげ!退屈くん

文:安田謙一画:辻井タカヒロ

 青春18きっぷの残った回数分を消化すべく、妻と天理に行った。JR大阪から大和路快速で奈良、そこから万葉まほろば線に乗り換えて4駅で天理に着く。最寄りの駅から2時間弱。ちょっとした旅の気分を味わう。名物のしだれ桜が満開の日だった。

 天理にはなんども行った。マイ・ペース「東京」風にいえば、天理にはもうなんども行きましたね、である。
 私はこの町がとても気に入っている。

 最初に来たのは80年代の中ごろ。まだ京都に住んでいた。誰かが言ったのか、何かで読んだのかは忘れたが、「天理に住む人はクリスマスをどう過ごしているのか」というネタみたいな話題がきっかけだったように記憶する。住民の四分の一が天理教の信者という町の存在が気になったのだ。

 町のいたるところに巨大な建造物がある。
本部はもちろん、幼稚園から大学までの学校、図書館、信者の詰め所など天理教に関連するものだ。この施設群がさらに増築されて、町全体を囲むという目論見があり、今もなおその過程にある、という、ガウディのサグラダ・ファミリアみたいな話を聞き、さらに興味を持った。実際に目の当りにすると、それが決して絵空事ではないことに気がつく。時代の感覚を超越した建築の中に立ち、最初は映画『トゥルー・ストリーズ』のデヴィッド・バーンになったような気分を味わっていた。

 はじめて行ったときに、天理教の教祖である中山みきの生涯や功績を紹介する展覧会があった。その時に遭遇したのが、夥しい数の松葉づえがディスプレーされたコーナーで、それらは信者が信心によって快復したことの感謝を示すものだった。今もあの光景は忘れられない。

 ほかに国宝や重要文化財を収蔵した参考館と呼ばれる施設があり、ここで展示される本物の干し首を観た。まさに、アーサー・ライマンのアルバム『タブー VOL.2』のジャケで見たやつだ。89年にデヴィッド・リンドレーが来日、磔磔で観たときに、スチール・ギターにも、これをぶら下げていた記憶がある。なんだかんだと干し首には縁がある。

 最初は、ストレンジなものばかりを求めていたが、いつしかお気に入りの町として自然に馴染んでいた。天理駅(JR・近鉄)から天理教の本部を結ぶ天理本通り商店街のアーケードは1キロメートル続く。

 神具や教具を扱う店が多いのは言うまでもない。書店もほとんど関連図書が並ぶ。
その合間合間に並ぶ店がいちいち味わい深い。駅前の天理ショッピングセンターにはじまり、「評判のいい店」、「心にのこる店」「良い店みつけた」と複数のキャッチコピーが踊る日常雑貨屋、衣服店にはカニコーセン風に言えば、目線を来世に向けているマネキンの数々、やたら数の多い、うどんと丼物を食わせる食堂、さらに、おなじみ天理スタミナラーメンなど。これらの穏やか、と、鄙びた、の境界線にあるような風景がずっと続いている。信心とは無縁の私だが、この空間に身を委ねることで、確実に心が満たされるものがある。

 久しぶりに参考館を覗くと、干し首が見当たらない。妻が女性の職員に尋ねると(尋ねるか?)「所蔵はしていますが、展示は控えています」と申し訳なさそうに言われた。