
破裏拳ポエマー
しのげ!退屈くん
文:安田謙一画:辻井タカヒロ
「この一重のバラはローズ・ロマンティック。花教室の小さな庭でそだてていたの。13年前に移植したところ、今では伸び放題なの」
これは、84歳になるひとり暮らしの母親の家のトイレに貼られたカレンダーに書かれたポエムである。
便器に腰掛けて、2カ月ごとに変わるポエムを読んでは、たまらんなあ、のため息をついている。作者を調べたら、高橋永順という母よりひとつ年上のフラワー・アーティストだった。いざ、詠み人を知ると、まあこんなポエムもありなのかなあ、と妙に納得してしまう。もはや、話す言葉がすべてポエムになるのかもしれない。
さっきから、ポエム、ポエムと書いているのはマンションポエムのせいである。

マンションポエムとは高級分譲マンションの広告コピーで、写真家で評論家の大山顕がそう名付けた。
たとえば、
「南麻布という贈り物」
「恵比寿に誇る、憧憬のタワー」
「駅徒歩2分、街に誇る迎賓の邸、誕生」
とか、こういうものから、
「その横浜は本物か」
さらには
「そこは多くの人が思う高田馬場ではない」
というように、哲学的というか、考えようによってはヒドい物言いのものまで、多種多様だ。
大山顕がこれまでに蒐集してきた秀逸なマンションポエムの数々はウェブ上でも愉しめるが、この度、潤沢な素材を研究対象とした『マンションポエム東京論』(本の雑誌社)という著作が発表された。
最初は、VOW的な笑いを求めて読み始めたが、読み進めていくうちタイトルに偽りなしの、東京論、都市論の鋭さに唸らされた。特に「3・11」に生じた帰宅困難から、多くの首都圏生活者を(都市をダイアグラムとして認識する)「鉄道依存性方向音痴」とする指摘や、「(タワーマンションは)土木とインテリアが直結してしまって、その間にあるはずの「建築」が存在しない」など金言だらけだ。
特に「最初は自明だと思っていた対象がよく分からなくなってきたら、いよいよ研究も進んできた、ということだ」の一文には共感しかない。ロック漫筆家となのる私ほど「ロックとはなにかよく分からなくなっている」人も、そうはいないはずだ。
マンションポエムは基本的に「詠み人知らず」だが、作者を想像すると、安西水丸「普通の人」に出てくる、いかにも、なコピーライターの姿しか浮かんでこない。

かつて、町田町蔵(康)が「愛のスカイライン」というコピーに対抗して「憎しみのダイハツ・ミゼット」という歌(ポエム)を作った。この精神をちょいと受け継いで、自分なりのマンションポエムを考えているうちに、映画「国宝」の田中泯の痺れるようなセリフに辿り着いた。
「ここには美しいものがひとつも無いでしょ。だから安心するんです。“もう、いいんだよ”と言われてるみたいで」
このコピーを自分の家のトイレに貼って飾ろうと思うの。
