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和田夏十の言葉

映画にたづさわる(原文ママ)ものの常に心しなければならぬことは、或る意味で常時「己れ」という我執を殺しながら己れの個性を生かし伸ばさねばならぬということなのです。

『和田夏十の本』「總合芸術『映画』と個との関係についての一考――O氏に申す――」より

『恥ずかしい料理』という本を出したあと、有り難くもいくつか取材を受ける機会があった。

ある取材での話だ。インタビュアーに肩書きについて尋ねられ、私は何の気もなしに「会社員です」と答えた。本を出したのはほんの思い出作りと思っていたし、「原稿料」といってもらえたお駄賃はあっという間に消えて無くなってしまった。今にして思えば版元になってくれた誠光社・堀部さんには申し訳なかったような気もするが、本を一冊出したからといってどうこうしようというところまで考えが及ばなかった。

しかし次の瞬間、インタビュアーはみるみるうちに眉間にシワを寄せ、こちらに身を乗り出してきてこう言った。

「“会社員”は本名でのご職業でしょう?それでは困ります。梶・谷・い・こ・さ・ん・は・何・者・な・ん・で・す・か?」

口では「困る」と言っていたが、語気は荒かった。まさか取材を受けてそんな目に遭うとは思わず、私はいきおい縮み上がって半分べそをかきながら

「そしたら“文筆家”にしといてください」

と答えた。恥ずかしながらこのときはじめて、自分で自分のことを“文筆家”と名乗った。

1960年、和田夏十は第33回『キネマ旬報』ベスト・テン脚本賞を受賞している。前年に公開された市川崑監督作品『野火』『鍵』の評価を受けてのことだった。

受賞を機に、『キネマ旬報』第252号では「シナリオ作家・和田夏十」という特集が組まれた。

和田夏十のインタビューや作品リストに加え、映画評論家・大黒東洋士による「女性ライターの特質」と題された評論が掲載された。しかし、この評論が和田夏十の反感を買った。

『和田夏十の本』には、和田夏十から大黒に宛てた形の、個人的な反論が収録されている。

「少くとも『シナリオ作家、××』と題されたる一文に於いて、その人物の容貌が問題にされる必要があるものなのでありましょうか。和田夏十が美人であろうとなかろうと、大きにお世話であります。和田夏十が私生活に於いては市川崑の女房であるから、和田夏十のシナリオが内助の功であろうとなかろうと、それも大きにお世話であります。」

和田夏十の私生活をいちいち詮索する大黒の“批評”に対し、「大きにお世話」という言葉を繰り返して一矢報いろうとする彼女の筆さばきは、体裁こそへりくだってはいるが気迫のこもったものだ。

「ある作家を検討する場合は、その作品が検討の対象になるべきであって、その作家の私生活を知らなければその作品の検討が不可能だなどということは、私は未だ寡聞にして聞いておりません。」

さらに、和田夏十が市川崑監督と夫婦関係にあることや、和田夏十が夫以外の作品の脚本を書いた経験がないことを理由に、「和田夏十の仕事の本体が容易につかめなかったのもムリではないと思う」と言って彼女の作品そのものに向き合おうとしない大黒に対し、和田夏十は次のように述べている。

「あの監督の演出がいい、とか、あの映画のシナリオが優れているといっても、その演出なりそのシナリオなりが、その映画と完全に別個のものであるとは、まさか考えておいでではないでしょう。」「『自分一人の仕事』から得られる自信でない、新しい形の自信を探そうと苦労している我々の立場が、少くとも映画を批評することを以ってその仕事としていらっしゃる立場の方に理解されていないなどとは思ってもみませんでした。」

映画は一般的に、「総合芸術」と呼ばれる。複数の分野の芸術が互いに混じり合い、影響を及ぼしあってはじめて一つの作品として完成するものだ。そこに個々の才能を区切る境界線を見ることはできない。

「故に映画にたづさわるものの常に心しなければならぬことは、或る意味で常時『己れ』という我執を殺しながら己れの個性を生かし伸ばさねばならぬということなのです。」

何年か前の雑誌で、あるモデルの対談を読んだ。

「自分の容姿を『かわいい』とか『美しい』と言われることについて、どう思いますか?個人的にはとても羨ましく思います」というあまりにも素朴な質問に、彼女はこう答えた。

「人前に立つ仕事のバックステージにはたくさんのスタッフの方がいらっしゃいます。ヘアメイク、スタイリスト、撮影、照明、ディレクター、マネージャー、プロデューサー、スポンサー。そういったお声は、スタッフみんなで作り上げた仕事に対する評価として受け止めています」

なんて聡明な回答だろうと感銘を受けると同時に、若い彼女のこれまでの苦労や努力を思った。

私は、35歳を過ぎ依頼を受けて文章を書くようになってはじめて、読み物というのは書き手ひとりによる仕事ではないということを知った。

ある依頼を受けて提出した原稿が、丸々書き直しという内容とともに編集者から返ってきたことがあった。お恥ずかしい話だが、私の書いた原稿がお遊びの枠を出ないものだったからだ。

編集者からのメールにはこう書き添えてあった。

「世界をぐっと広げて、未知の人々に向けて話す、というイメージです。でも、この面白さを共有してくれる人はいる、という確信を持って。」

私はそれまで、自分や自分の身近な人たちに向けてしか文章を書いたことがなかった。本を一冊出しておきながら、自分の言葉が、顔も名前も知らない遠くの人にまで届くという可能性について思い至らなかったのだ。

私はこの言葉を何度も何度もなぞり、想像の外側の世界を必死にイメージした。

結局、校了までに書き直しを重ねた原稿は6つを数えた。もはや記憶もおぼろげだが、私は改稿の間もずっと、この言葉を「しがむ」ようにして書き直しの手がかりにしていた。

めりめりめり。一度書いたものに手を加えるときには、そう音がするような気がした。それは原稿だけでなく、自分の形そのものが変わっていく音だった。

今もまだ、あの感触が忘れられないでいる。あれをいつかまた味わいたくて、私はこれからも書き続けてしまうと思う。