
事業
和田夏十の言葉
「あたし、見るからに男らしい男って嫌いよ。そういうヤツは、あたしが女であるってこといつでも意識させるからね」
映画『青春怪談』より
「えー、ワタクシ、家庭がめちゃくちゃになりまして」
商談相手の第一声に、わたしは面食らってしまった。
もう何年も付き合いのある取引先の、営業担当との打ち合わせだった。営業担当と言っても、名刺には立派な肩書が書き添えてある。年の頃は50歳目前。いかにも働き盛りといった風の男性だ。
「妻の不貞がわかりましてね」
言葉を失っているわたしに、追加の豆鉄砲が飛んできた。これはとんでもないことになってしまった。されるがまま、話の続きを聞くはめになった。
話の筋はこうだ。
夫婦生活20年。ふたりの子どもに恵まれ、マイホームも建てた。妻には何の不自由もさせていないはずだった。
しかし妻には別に男が居たらしい。相手はパート先の年上社員。数年前から男女の仲で、向こうも妻子ある身だと突き止めた。
とにかく妻の方は、自分と別れると言って聞かない。そっちがその気ならもう仕方ないと思い切った。子どもたちを引き取り、先日別れたところだ。
気の毒な話だ。わたしは精一杯、「それは大変でしたね」という言葉をかけることしかできなかった。
しかしよくよく話を聞いていくうち、今度は出て行った奥さんのことが気になってきた。
夫の方は、出て行った妻が新しく作った男のところへも、実家の両親のところへも友人のところへも行けなくしてやったと言うのだ。俺が買い与えたものなのだからと、妻が通勤に使っていた車も置いて行けと命じたらしい。
当然と言えばそうなのかもしれないが、出て行った奥さんは、主婦のパートの身の上で身寄りもなく移動手段もなく、果たしてこれからどこでどうやって生きていくのだろう。
聞けば彼女はここ数年酒浸りで、家事も「やりよらへん」かったのだという。わたしが聞いても危険ではないかと思うほどアルコール度数の高い酒を、毎日浴びるように飲んでいたそうだ。夫の方は、まるでそんなけしからん女を成敗してやったといった口ぶりだった。
わたしは、もしかして家庭をめちゃくちゃにしていたのは、いま目の前にいる彼自身なのではないかと思った。
彼がいかに自分が男らしく、鮮やかにこの困難を乗り越えたかを高らかに語れば語るほど、「嫁」という小さな箱に押し込められ、自由を奪われた女性の不憫な姿が目に浮かぶのだった。

1955年、新東宝と日活は、獅子文六の恋愛小説『青春怪談』をそれぞれ映画化した。封切り日は4月19日。2作同時のロードショーだった。
監督は、新東宝版を阿部豊が、日活版を市川崑が務めた。もちろん、日活版の脚本を担当したのは和田夏十だ。
超がつく合理主義の美青年・慎一と、その幼馴染でハンサムなバレリーナ・千春とのロマンティック・コメディ。慎一の母と千春の父、共に早くに伴侶を亡くした一人親同士の恋愛を叶えようと、息子と娘は自分たちの婚約という策に出る。
劇中、若いふたりが互いの考えを確かめるシーンで、和田夏十は原作にないセリフを書き加えた。
「あたし、見るからに男らしい男って嫌いよ。そういうヤツは、あたしが女であるってこといつでも意識させるからね。あたし、人間としてのびのびと暮らしたいのよ」
わたしはとっさに、これは和田夏十の独白だ、と思った。
公の場で「崑ちゃん」「夏十さん」と呼び合うこともあった和田夏十と市川崑。ふたりの関係は、「主人と嫁」という当時の日本で一般的だった夫婦の在り方とは少し違っていたように思う。
『和田夏十の本』で、彼女はこう述べている。
「亭主は事業の一部分にしか係わりのない仕事をしているにすぎないけれど、主婦は仕事全体を取りしきるから、これはもう事業である」
彼女にとって家庭は、家族に仕え、ケアを担う小箱などではなく、自らが全面的に統括し、運営するべき一大事業だった。
夫は家庭という事業のいちセクション、いちメンバーであり、家庭の統括責任はあくまでも妻の方にあるというのだ。単なるいちメンバーに、「男らしさ」などという形ばかりの権力を振りかざされていたのでは、家庭という事業は立ち行かない。この事業はそんなに甘いものではない。
また事業全体のうち、あるセクションに問題が起これば、統括者は責任を持ってその問題を解決しなければならない。
和田夏十にとって、映画の脚本執筆もそうしたもののうちのひとつだった。
夫の市川崑は、和田夏十との共著『成城町271番地 ある映画作家のたわごと』で、次のように書いている。
「妻は時間や体力的に無理なので、シナリオを書くことを時にはなはだ嫌悪しますが、これも私達二人で人生をのぞく一つのプロセスだと信じている私は、断固として押しつけます。
かくして妻は、いやいやながら、いつもシナリオを書かされています。」
ところで、わが家の「事業」はどうだろう。
先週の日曜日は、わたしにとって本当に素晴らしい一日だった。
エキサイティングなことは何も起こらないかわりに、穏やかで平和な休日。こんなに幸福な日はそうそうない。夕食後、コタツに潜り込みながらそんなことを口に出すと、夫は心底呆れたという風に言った。
「そりゃそうだろうね。今日君は、家のことをひとつもやらずに済んだんだからね。少しくらい私に感謝してくれてもいいんだよ」
わたしは苦笑しながら、この様子を例の営業担当が見たら、いったいどんな顔をするだろうと思った。