誠光社

京都 河原町丸太町 書店

編集室

息子

息子

1

和田夏十の言葉

「ボクは人間なんだぞ。男の子なんだか知らないが、ボクは人間だ。」

映画『私は二歳』より

コロナ禍がきっかけで、去年の5月からアコースティックギターをはじめた。家での時間が増えたという理由のほかに、ちょうどその頃、ライブ予定がなくなったミュージシャンたちがこぞって自宅から生演奏をインターネット配信していたというのもあった。こんな風に自由に楽器を弾けたらさぞかし楽しいだろうなあと思ったのだ。それまでほとんど楽器に縁のない人生だったが、自分に大した期待をかけていないせいか、上達しないかわりに意外と飽きずに続いている。

奥田民生の『息子』に挑戦したことがあった。アコギ一本で弾き語りできるような音楽を普段あまり聴かないこともあって、とりあえず知っている曲を片っ端から練習していた。その中に『息子』もあった。この曲が流行ったときはまだほんの子どもだったが、それから何年も経ったあとにどこかで聴いて、なんとなく「いい曲だな」と思っていた。

音楽の経験など全くないから、曲を聴いて譜面を起こすのはもちろん楽譜もさっぱり読めない。とりあえず、インターネットに落ちているものからコードを適当に拾って練習することにしていた。スケッチブックにまず歌詞を書き込んで、そこにコードと「タブ譜」と呼ばれる弦を押さえる箇所を図で示したものを一緒に書き加える。奥田民生の『息子』はそれまで偶然どこかで流れているのを耳にしていたくらいだったので、あらためて曲に向き合ってみて「へぇ〜こんな歌詞だったのか」という発見がいくつもあった。そしてやっぱり「いい曲だな」と思った。でっかい海に漕ぎ出す小さな可能性の塊と、それを眼差す者のやさしさに惚れ惚れさせられた。

ところが、何度も歌詞を追っているうちに思いがけず気づいたことがあった。「君」と言って呼びかけられる対象に、わたしは含まれない。これまでの人生はもちろんこの先もずっと。語りかけるように歌われる言葉は、実在する愛し子を飛び越えわたしの胸にまで響いていた。そしていつの間にか、目の前に広がる青い空とその下を進む小さな人影にすっかり自分を重ね合わせて聴いていたようだった。だけどわたしは誰かの「息子」だったことも、その可能性すらもない。そう思い至ると急に、“台風”も“裏切り”も“唇”も“できごころ”も“ワイセツ”も“ぼろもうけの罠”も、ヒョイとこの手から取り上げられてしまったような気がした。後にも先にも「息子」と呼ばれることのないわたしには、どれも関係のないことだとよそよそしく遠ざけられてしまったような気がした。

この感覚には覚えがあった。友だちとふたりで食事をしていたときのことだ。彼は事も無げに、わたしが女でなければふたりきりで会っていない、と言った。わたしは相手が男性だからという理由で会っていたのではなく、同じ人間どうしで、気の合う友だちとしてふたりの時間を過ごしていたつもりだった。相手の性別などどうでもよかった。でも、そう思っていたのはわたしだけだった。率直な言葉にされるまで、相手の思惑を認めなかったわたしが馬鹿だった、という情けない気持ちと一緒に、大きな喪失感が押し寄せてくるのを感じた。彼とはそれ以来会うことはなくなり、わたしは友だちをひとり失った。

「なんだもう駄目か。がんばれよ、男の子じゃないか」。1962年の映画『私は二歳』では、生まれてはじめて歩いた我が子がすぐに尻餅をついてしまったのを見て、父親がそうハッパをかける。でもそんなこと言われったって、人間は他の動物のように最初からたくさんは歩けない。それは性別と関係ない。「ボクは人間なんだぞ。男の子なんだか知らないが、ボクは人間だ」。二歳児“ターちゃん”のモノローグとしてこう語らせる脚本家・和田夏十の、あまりにもさっぱりした主張に触れるたび否が応でも励まされる。わたしは人間なんだぞ。女性だかなんだか知らないが、わたしは人間だ。男性と同じ人間だ。

結局、奥田民生の『息子』の弾き語り練習はその後やめてしまった。ひと通りコードは押さえられるようになってはいたが、どうにも原曲が聴けなくなってしまったからだ。今から25年以上も昔の曲に文句を言っても仕方がないが、『息子』が「息子」でなく他のどんな言葉だったら、あのまま曲の練習に夢中になれたのだろうかとたまに考える。