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足りない「もの」を作る

セルフビルドの家 その二

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足りない「もの」を作る

京都駅から1時間ほどだろうか。
近くには駅や幹線道路、温泉やスキー場もある。
登山やマリンスポーツで訪れる県外からのレジャー客も多いようだ。

比良山地。琵琶湖西岸は山地から湖への急激な落ち込みのため平地が少ない。

次の目的地へ向かう間にもセルフビルドと思われる手の込んだ家が何件か目に入った。中には制作途中で放棄されたか、今はもう人が住んでいない建物も見受けられる。

このあたりは別荘地として開発された場所もあり、林の中を区画に分けて販売していたようだ。木立を隔てて別荘風の建物や作家のアトリエ、雑貨店、ご飯屋さんなどが散見される。移住者も多い。

Tさん曰く「まず木を切り整地してそこに家を建てる人もいるが、元々生えていた木や地形を活かして家の形を考える人もいる」とのこと。雑木林と庭が混在している中に様々な生活スタイルの人が集まってコミュニティをかたちづくっているようだ。

道を歩いているとYさんのお宅が見えてきた。気づかずに通りすぎてしまいそうな存在感だ。

Yさんのお宅、竹製の雨樋が交差する中庭。


母屋や茶室、作業小屋など、小さな建物が敷地内にいくつか並んでいる。どの建物も踏み台や脚立で届く範囲で作られ、軒は低く抑えられている。同じくらいの高さの庭木も多く、奥の菜園も林に囲まれているので周囲との境が曖昧だ。

小窓と軒。一見いびつにも見えるが全体としてみると具合良く整っており、この上なく周囲の環境と調和がとれている。

軒先からは竹製の雨どいが長く伸び、雨水を無駄なく利用する仕組みになっている。

よく見ると家のあちこちに工夫を凝らしたギミックがあり、唐箕や石臼など生活の道具も改良が重ねられていて使いやすそうだ。

入口の門から庭にかけての佇まいや小さな採光窓の繊細な作りに、どことなく家主の品性が滲み出ている。
自分のものを自分の手で作るからこそ現れる世界観だろう。

作りながら住んでいる、気になったらいつでも手を入れるといった、家との距離感がこういった落ち着きのある雰囲気を醸し出しているのかもしれない。住む者がいなくなれば残された家は速やかに朽ちて土に還るのではないかとさえ感じる。

使われている素材は近くにある木や竹、土などの自然素材が多いが、金属の建築材や廃材を再利用した建具等もあった。どれも相当に吟味されており組合せの妙がうかがえる。

あくまでも自分一人でどうにかなる「身近な材料」を使い、昔ながらの生活様式にこだわって暮らしている。

湯が沸くと音で知らせてくれるギミック。プラボトルに水が入りその重さで順番に仕掛けが動きベルが鳴る。あちこちにユニークな仕掛けがあった。

Yさん宅からの帰り際、YさんとTさんが井戸の話題で盛り上がっていた。
水が出た、出なかった、という話だったが、バケツとスコップで深さ10mもの井戸を半年かけて掘り続けたとのこと。(結局水は出ず水道を引いたらしい)

やはり家づくりに手を出す人達は、自分で出来ることの限界を超えて挑戦するような熱量の持ち主が多いように思う。

茶室で近所の子供達に英会話教室を開いていたことがあるらしい。子供にとっては時空を超越するような体験だったに違いない
Tさんの家。厚みのある壁に壁画やレリーフが施されている。

Yさんの家から歩いて15分ほど。

Tさんの家には居住部分や地階の作業場の他、風呂トイレエアコン完備のワンルームがいくつもある。
アパートや宿泊施設として利用出来るように作られており、近隣大学の学生が下宿していたり旅行客が来たりと賑やかなこともあるようだ。

伺った時には各部屋テーマ別に様々なオブジェや絵画が展示されており、表札にはその部屋のシンボルが掛けられていた。
建物の屋根や外壁にも人物や動植物を象った造形があり、躍動感に溢れている。

Tさん自身建物に詳しく建設業界の友人も多いようで、かなりしっかりした構造の建物なのだが(見た目はアバンギャルド)、家が完成するまでには役所との相当激しいやり取りがあったようだ。

各個室の表札に掛かるシンボル。この部屋は毒蛇のネックレス。
お孫さんが翼竜好きなので翼竜の軒を作ったが「こんなの翼竜じゃない」と言われたらしい。
ロバのオブジェ。Tさんのお宅には「ドン・キホーテ」をモチーフにした作品が多い。

この地域でのセルフビルドについてはMさんYさんTさんのような「先駆者」の存在が大きいように思う。

自分で家を作ろうと思うと、土地建物に関してだけでも様々な制約がある。一般的な形の住宅でないのであればなおさらだ。それ以外にも最低限の電気、給排水などクリアしなければいけないことが多いが「あそこであの人があのレベルまでやってるのなら自分のしたいことくらい出来そうだ」と背中を押してくれる雰囲気がこの辺りにはある。

トカゲの扉。家と彫刻の境がかわからないプリミティブな佇まいの家。

家を自分で作る場合、工務店やメーカーに頼むのと比べ半分程度の出費で済むとも聞くが、自分の労力を人件費として考えると最初からコストが合わない。

一人もしくは少人数で作るのだから制作期間も長くかかるし、作り続けながら住んでいるような人も多い。
どこからどこまでが家作りの出費なのか、仕事なのか趣味なのかさえもわからなくなりそうだ。

「家を作り始めたら他のことは手につかなくなる」という話も聞くが、「これ以上に楽しいことは無い」という意味が半分、
「時間と出費がかさみその他のことは諦めなければならない」という意味が残り半分だろう。

思いつきの勢いで始めるとあとで大変な目に合うらしいが、見切り発車気味の行動力を持った人でなければ始められないことのようにも思う。

Tさんの工場にあった自作のプロペラとエンジン。昔、自作飛行機を作ろうとして河原でテストを繰り返したらしい。

自分で家を作りたくなったら「セルフビルド入門書」を読むよりも、まず「先輩」を訪ねてみるのがいいのかもしれない。

そこに住むことがまるで想像出来ない奇抜な家も少なからずあるが、では自分の家ならどうするだろうといつのまにか考えをめぐらせることになる。

セルフビルドをする人にとって家は生きるために必要な人生をかけて作るものであり、何者にも縛られることのない自由を求める姿勢そのものなのである。