焼きそば×焼うどん=江川ちゃんぽん
甲斐みのりの焼きそば道楽
文:甲斐みのり写真:村上誠
一般的にちゃんぽんといえば、長崎ちゃんぽんのように中華料理店の品書きに並ぶ、野菜や豚肉などたっぷりの具材をのせた汁麺を思い浮かべる人がほとんどだろう。しかしながら私が好きなちゃんぽんに汁はない。元来ちゃんぽんは「2つ以上のものを混ぜ合わせること」を意味する言葉。和歌山県南部の中心都市である田辺市の漁師町・江川地区で昔から食べられてきた「江川ちゃんぽん」も、そばとうどんを混ぜ合わせて鉄板で焼くことからそう呼ばれるようになった。
私にとって田辺は今、第二の故郷と言えるまでに近しい土地だ。この10年の間で年に3回ほど滞在するうちに、たくさんの友人や馴染みの店ができ、たいていの場所には地図なしで迷わず辿り着けるようになった。そんな田辺に初めて訪れたとき、最初に食べたのがちゃんぽん。商工会議所主催の講演会に登壇することになり、せっかくだから開催日前に現地入りして、ぜひ市街地を案内して欲しいと願い出た。そうして男性担当者が「しゃれたもんではないですが」と昼食に連れていってくれたのが、入り組んだ漁師町の長屋の一角にあるお好み焼き店〈ヒロ〉。観光用に開かれていない地区の、一見で入店するにはためらわれるほどローカル色が色濃いその店には、私一人では決して辿り着けなかっただろう。もしもそのとき洗練された今風のカフェに案内されていたとしたら、その後こうして田辺に通い続けていただろうか。しみじみと趣ある漁師町の相当渋いお好み焼き店で、ここにしかない麺料理と出会えたことが、それから田辺という土地に魅了されるきっかけになった。
田辺でもちゃんぽんが味わえるのは、田辺漁港を有する江川地区だけ。今回あらためて訪ねた〈はまちゃん〉はじめ、〈千芳〉〈はなまる〉〈はまだ〉など、7軒ほどの店で作られている。ちゃんぽん誕生のきっかけは諸説あるが、昭和40年頃にかつて江川にあったお好み焼き店で、「お腹が減っているから、そばとうどんを一緒に焼いて」という常連客の要望を聞いて作られるようになったというのが有力である。何十年も前から江川のお好み焼き店では気軽に食べられる軽食として定番化していたが、〈はまちゃん〉がオープンした15年ほど前から「江川ちゃんぽん」という呼称が付き、少しずつ注目されるようになっていった。一見さんとも気軽に話し、にこやかに取材を受けてくれる店主・浜本広子さんの人柄により、田辺独自の焼き麺料理が広がっていったといっても過言ではない。
はまちゃんこと浜本さんは、60歳を目前に勤めていた喫茶店を辞めることになり、家でできる商売を考えてお好み焼き店を始めることにしたという。車庫だったスペースを店舗に改装したのは、内装の仕事をしていた亡き夫。店の中心に据える大きな鉄板だけは特注したけれど、ご近所さんから譲り受けたテーブルを活かしたり、ほとんどお金をかけずに準備を済ませた。以来、江川の憩いの場として愛されるように。近所の子どもがお金を握りしめてやってきて、ちゃんぽんをほおばることもあれば、仕事を終えた漁師さんがお酒を飲んで過ごすのも日常の風景。何度かテレビで和歌山ならではのローカルフードと紹介されたこともあり、最近では週末になると他府県からわざわざ、ちゃんぽんを食べに訪ねてくる人も増えた。
江川ちゃんぽんの大きな特徴は、量の多さ。そばとうどんを各1玉ずつ混ぜ合わせ、キャベツや肉も加えることで、実質的には二人前に匹敵する通常の一人前はかなりのボリュームだ。そこで生まれたのが独特のオーダー法。通常の半分の量(そばとうどん半玉ずつ)を「シングル」と呼び、店に通いなれた女性や子どもは「おばちゃん、ちゃんぽんのシングルお願いね」というふうに、自ら食べる量を調整して注文する。
江川ちゃんぽんを出す店はそれぞれ微妙に作り方が異なり、使っている麺やソースや具材も個性があるから、味の違いが出ておもしろい。店によっては中華麺を使うところもあるけれど、はまちゃんではあらかじめ表面に油を引いた歯応えのいい焼きそば麺と、もっちりとしたうどん麺を、炒めたキャベツと牛肉に混ぜ合わせる。さらに、ネギ、天かす、鰹節を加えて、卵をのせ、少し酸味がきいた濃厚なオリジナルの甘辛ソースで味付けをする。異なる2つの麺の食感、ソースの風味、付け合わせの紅生姜は、ビールとの相性も抜群で、麺とビールを交互に口に運ぶ手が止まらない。そこに夏場は、するりと喉をすべる自家製のところ天も名物の仲間入り。ちゃんぽんでお腹いっぱい満たされたあとは、風情ある漁港を散歩したり、紀伊田辺駅まで20分ほどかけて歩いたり、腹ごなしの時間もふくめて楽しめる田辺の名物だ。