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味の民藝 飛騨高山の飲み食いについて

優しい薄味。

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味の民藝 飛騨高山の飲み食いについて

著者:朝倉圭一イラスト:野上

流行病で寝込んでしまい、一家揃って布団の中で過ごした。ぐったりとした息子を抱き抱えて、集落の山が白く染まっていく様子を眺めている間に、秋は里から旅立って、どこか南の暖かいところへ出掛けてしまった。

子供の頃、熱を出した時、母は決まって「たまごとじうどん」を作ってくれた。小ぶりの琺瑯の鍋で煮込まれたそれは、薄味で優しかった。そういえば薄味を優しい味というのはなぜなのだろう。理由は知らないが、いい表現だと思う。子供の頃のことはあまり覚えていないが、鮮明に思い出すのは寝込んでいた時の記憶ばかりだ。不登校で引きこもっていた僕にとって、後ろ指をさされずに家にいられる闘病の間は、唯一心が休まる時間だった。母のうどんは、僕の存在証明だった。

高山市内の中心から離れ、東側に伸びる坂道を登ると、森を背にして南北に寺社が立ち並ぶ「東山寺院群」がある。天正13年に豊臣秀吉の命を受けて、飛騨を平定した金森長近は、飛騨盆地を流れる宮川を京都の鴨川に見立てて、この地を碁盤の目状の城下町に作り変えた。東山寺院群はこの際、京都の東山を模して作られた。

そんな、寺院群の参道に広がる下町に、行きつけの蕎麦屋がある。市内の「恵比寿」で修行をした女将が切り盛りする創業35年の老舗「大黒屋」だ。暖簾をくぐると、カウンターとテーブル席、奥には座敷があり、座敷の手前には小さなコタツ席がある。店内の壁には芸能人が訪れた際の写真がたくさん飾られていて、如何にも昭和の店らしい。写真のほとんどは、飛騨が舞台のドラマ「赤かぶ検事奮戦記」(主演フランキー堺・後に橋爪功)が番組ロケで訪れた店内で撮影されたもので、蕎麦の到着を待つ間にそれらに目を通すのも楽しい。

僕はいつも、ほぐした貝柱を混ぜてかき揚げにした「貝柱のてんぷら蕎麦」を注文する。薄い大きなかき揚げを汁に浸して崩しながら食べる、素朴で優しいふつうの味で、実家に帰ってきたような安心感がある。実際、誰かの実家のような佇まいの店だ。

今回、取材の為にイラスト担当の「のみちゃん」を誘って、夜の大黒屋を訪ねた。お昼は息子さん夫婦と切り盛りしているが、夜は女将さんが一人で切り盛りしている。この日も、お茶が3回連続で出てきたり、常連さんが皿洗いをしていたりと、まるで昭和の喜劇のようだった。

しばらくすると皿洗いを終えた常連さんが、焼き魚と漬物をタッパーから出してストーブの上で炙り始めた。女将さんはおずおずと店の裏に消えて、しばらくの後、一升瓶を片方で掴んで戻ってきた。「日本酒、あんたらも呑むかな?」時計を見ると時刻は19時、どうやら今日は早仕舞いのようだ。僕らはホクホクとした気持ちで店を後にした。

「ふつう」に美味しいと聞くと、なんだかよくない言葉のように聞こえるかもしれない。しかし民藝において「ふつう」は、最上級の褒め言葉だ。日本民藝館の館長の深澤直人さんは「ふつうとは、関係性がちょうど良く収まっている状態のことである」と説明している。それは、つまり、ぴったり肌にあっていて、しっくりきている場所や物が、ふつうだということだ。ふつうは作るものではなく、育むもので、長い時間を共にしたものは、押し並べて角が取れて優しくなる。優しく丸い味になったそれらは、胃にも優しいし、財布にも優しい。老舗の味と民藝の美は、同じ場所にちょこんと並んでいる。生活には、ちょうどいいが欠かせない、ちょうどいい優しい味と、ちょうどいい店が欠かせない。