誠光社 SEIKOSHA

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広島市現代美術館経由でREADAN DEATに足を運び、「アウト・オブ・民藝」玩具編オープニングトークを聞いて京都にとんぼ返りした日のこと。

広島市現代美術館経由でREADAN DEATに足を運び、「アウト・オブ・民藝」玩具編オープニングトークを聞いて京都にとんぼ返りした日のこと。

新幹線の車内で、鞄に入れっぱなしだった尾崎一雄の『暢気眼鏡・虫のいろいろ』を読んでいたら、齢七十にさしかかった著者が柳宗悦夫人の兼子を尋ねる『日の沈む場所』という回想記に出くわした。京都山科で行われた志賀直哉主宰の茸狩りの帰路、一同が乗り合わせた疎水をゆく小舟がトンネルにさしかかったとき、突如として唄い出した兼子の歌声が終生忘れ難かったという。

向かう先は広島の独立系書店READAN DEATさん。当店で企画・出版した「アウト・オブ・民藝」巡回展示のオープニングトークに駆けつけるためである。「何を読んでも」(何かを思い出す)濃度が年々あがってきたのは歳をとった証でもある。

広島駅につくとそのまま隣接の商業ビル飲食フロアへ。デーゲームが行われるようで、昼からカープ帽をかぶった客で賑わい、どの店にも行列ができている。行列のない空いている店を選んでお好み焼きと生ビール。タクシーに乗ってまずは広島市現代美術館へ。「オープンラボ」として開催中の「アウト・オブ・民藝」著者の一人である中村裕太くんと谷本研さんの『タイルとホコラとツーリズム 6 もうひとつの広島』を見学しに。

展示を開催するにあたってまず彼らは、比治山公園内の高台に位置する広島市現代美術館の周辺、段原地区をリサーチした結果、明治期に同地区の和田郁次郎という人物が18家族を引き連れ北海道へ入植、開墾された地が現在の北広島に至った経緯に着目する。その事実を出発点に、北広島市の情報を動画で配信する「きたひろ.TV」の映像アーカイブと、「北海道移住100年記念展」に出品された民具を資料とし、さらには広島から北広島へと受け継がれた野球にまつわるストーリーを加味したのが同展だ。

球場をイメージした会場内には9つのブラウン管テレビが配置され、「きたひろ.TV」の映像と、調査時の撮影素材がミックスされ一斉に上映されている。周囲には民具をもとに作成された張り子や資料類が。北広島にはカープジュニアという少年野球チームがあり、広島とのつながりは非常に強い。しかし、2023年に日本ハムファイターズの本拠地となるボールパークがオープンすることで、地元ファンのマジョリティーも日ハムへと移行しつつあるそうだ。ホームランバッターのごとく会場を一周しながらそんな時間の流れを追体験していく。

内容もさることながら、まるでナム・ジュン・パイクと今和次郎が野球をテーマに制作したインスタレーションのごとき特異な光景に圧倒される。重なり合う音声に、いつか安田謙一さんの原稿で読んだ、213台のCDプレイヤーでビートルズのスタジオ録音曲ほぼすべてを同時に再生するとうインスタレーションが頭をよぎった。

READAN DEATへ着くと、展示はほぼ完成していた。松本の栞日さんで開催した際は休憩をはさみつつもほぼ12時間を要しただけに心配していたのだが、これまでの経験もあってかうまく設置できた様子。広島での展示は「玩具編」と銘打った番外編。書籍のもととなったトーク版「アウト・オブ・民藝」全五回すべてに広島からご参加いただいた上、資料提供までしてくださった千葉孝嗣さんが今回は企画出品協力されている。今回の肝となる資料の一つに、柳田国男と柳宗悦との対談が掲載された『月刊民藝』昭和15年4月号がある。民俗学と民藝の直接的関係は「アウト・オブ・民藝」でも深くは掘り下げられていない(今和次郎を介して両者は比較されている)視点の一つだったので、一般的に「交わることが少なかった」と認識される二人の対話は今回の目玉ともいえる。

トーク中でも同対談について触れられていたので、一部抜粋してみる。

柳田 それは勿論民俗学とは過去の歴史を正確にする学問です。だから、将来のことはわたくしどもの学問の範囲じゃないんです。(中略)われわれは事実を正確に報告するだけで充分です。

柳 つまり民俗学は経験学として存在するのですね。(中略)われわれの民藝の方はつねに将来性の問題と関係があると思うんです。

ここで興味深いのは、両者がそれぞれ、民俗学が過去を向いた学問で、民藝は未来を見据えた運動だとしている点である。『アウト・オブ・民藝』を読んでいただいた方ならば、ここで首を傾げてしまうかもしれない。同書中で海野弘の卓見を引用し、「山本鼎による農民芸術は未来を見据えて出発し、柳宗悦の民藝運動は過去から出発している」と綴られていたからだ。しかし、この2つの視点は矛盾するものではない。

農民芸術は当時隆盛しつつあったロシアのフォークアートを手本に、民藝運動は滅びゆく李朝の工芸品をきっかけにしているという意味では、農民芸術は未来、民藝運動は過去を思考していたともいえる。同時に、過去を知ることで現在に生かされるべきなんらかの教訓を見出すのではなく、近代化を急ぐ当時の読者たちに自らの来し方に目を向けさせようとした民俗学に比べれば、美の規範とそれが生まれる条件を分析することで、将来的にも同じ美意識に根付いたものが生まれる土壌を作らんとした(それを実践したのが吉田璋也の新作民藝運動)民藝運動は未来志向の運動でもある。

このように関係性に着目することで同じ事象が相対的に姿を変えること、これこそが「相関図」を中心に据えた「アウト・オブ・民藝」の面白さではないか。

明快な答えを急ぐのではなく、ただただ関係性を整理し、多角的に考えることで、見えないものが見えたり、ストーリーが浮かび上がる。思えば先の『タイルとホコラとツーリズム 6 もうひとつの広島』も同じようなスタンスだ。わからないことがあれば「その場でググる」のが当たり前になっている昨今、非常に頼もしい「態度」だと思う。

トークが終わるともう京都への終電の時間が近づいている。泣く泣く打ち上げは遠慮し、千葉さんが蒐集、研究し、あげくは自身の手で再現復刻してしまったという宮島の郷土玩具「鹿猿」を購入し、土産に持ち帰った。