誠光社 SEIKOSHA

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ブログ 何を読んでも何かを思い出す

通信販売掲載商品

二人の「真珠の耳飾りの少女」

通信販売ページに二人の「真珠の耳飾りの少女」が並んだ。一方は子供が描いた稚拙な模写。もう一方はデジタル技術を用いたコラージュ作品。オリジナルとはかけ離れていながら、いくつかの記号でわたしたちは引用された名画を知ることがでる。

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ニクソンをジャンプさせた男、フィリップ・ハルスマン。

LIFE誌のカバーを101回も飾った、つまり商業写真の分野で当時最も成功を収めたと言い換えてもおかしくない、写真家フィリップ・ハルスマン。ラトヴィア移民としてアメリカに渡り、ポートレイトの名手として数々のセレブリティたちと交流し続けてきた彼が、1950年代に執心したのが、”JUMPOLOGY”と称される、飛び上がった姿のポートレイトシリーズだ。

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ヴィヴィアン・マイヤーを探して

写真表現の分野において、ファウンド・フォトと呼ばれる手法が一般的になりつつある。はじめてその手法を知ったのは、オランダの広告会社ケッセルスクライマーが2001年から刊行し始めた”IN ALMOST EVERY PICTURE”というシリーズ写真集。どこにでもいそうな平凡な夫婦の色あせた海外旅行写真を、大雑把なデザインで一冊にまとめただけのものが新鮮だったのは、写真に作為や技術がまったく読み取れなかったからだ。蚤の市やガラクタの山から見つけてきたものを作品として提示する、その見立てによってカメラを使わずとも写真表現が成立する。

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新宮晋の絵本世界

先月、大阪九条の「シネ・ヌーヴォ」で、「風の彫刻家」新宮晋の活動を追ったドキュメンタリー映画『ブリージング・アース』を観た。世界的な評価を受ける新宮晋の作品は、一見カルダーのモビールのバリエーションのようだが、「環境を取り入れる」という要素によって決定的に違うものになっている。抽象画を3次元に移行し、そこに時間の概念までを取り入れたカルダーのモビールに加え、新宮晋の作品は、環境に左右され、環境を生み出す。

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『光る風』三たび

山上たつひこの傑作『光る風』の古い文庫版が入荷したので久々に読み返してみた。同書との出会いは1997年。ちくま文庫のラインナップとして再刊行された際、当時アルバイトとして勤務していた恵文社の先輩に「これは絶対読んどいた方がいいよ」と薦められ手に取った(当時はレジのなかで本の話ばかりしていた)のが最初だった。当時は「『がきデカ』の著者がこんなシリアスな作品を書いていたのか」程度の感想だったが、10年ほど後に古書店で朝日ソノラマ版を買い直し読んだ際にはその預言的内容に戦慄した覚えがある。

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Hoxton Mini Pressのローカリズム

Hoxton Mini Pressは、イーストロンドンのハックニーというエリアで活動するインディペンデント出版社。Martin Usborne と Ann Waldvogelの二人を中心に、2013年に活動をスタートしたばかり。ハックニーは暴動が頻発する比較的治安の悪いエリアだったが、家賃の安さからここ数年若いアーティストが集まり、小さなカフェなどが次々とオープンする注目のエリアになりつつあるという。このあたりの変遷はNYのブルックリンなんかによく似ている。つい先ごろ刊行された某誌のロンドン特集でも巻頭でHoxton近辺のイーストロンドンエリアが採り上げられている。

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レコードと暮らし

最近、再びレコードに注目が集まっているという。メジャーのレコード会社が新作発売時に受注生産でアナログ盤をプレスする事例も増えているそうだ。しかしその大半はポピュラーミュジーックを収録した音楽ソフトとしての扱いで、メディアとしてのレコードはとうに忘れ去られてしまい、顧みられることも少ない。そもそもポピュラー音楽を収録したレコード、というのはその役割のごく一部を占めるものだった。

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ブルーノ・ムナーリのファンタジア

その活動内容の幅広さと、作品の定義し難さによって、ブルーノ・ムナーリは非常に捉えにくい作家であり続けている。ある人にとってはイラストレーションのタッチが「かわいい」絵本作家であり、ある人にとってはダネーゼ社のモダンなシェイプの製品がコレクションの対象とされるデザイナーであり、ある人にとっては芸術/デザインの違いやその発送方法について論理化しようとした批評家でもある。瀧口修造にとっては詩人でもあり、彼のワークショップに参加した子どもたちにとっては「親切で面白いおじさん」なのかもしれない。

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