
真夏に手袋 グレン・グールド
WADDLE YA PLAY?

どうせ暑いなら、8月のテーマはいっそこれにしようと決めていました。
「グレン・グールドは語る」という本があります。 アメリカの音楽誌「ローリング・ストーン」のライター、ジョナサン・コットとグレン・グールドの1973年の対話インタビューです。

タイトル通り、自身の情熱や理念を誰よりも饒舌に語るグレン・グールド。表紙は手袋をつけているポートレイトです。(インタビュー時ではなく26歳のグールド)
手編みのウールの手袋は、指が付いていないライラック色のハーフミットです。
まるでバレエダンサーがレッグウォーマーをつけているかのような繊細な雰囲気を感じさせますが、手袋はグールドにとって、レッグウォーマー以上に重要なものだったようです。
音楽活動や演奏スタイルからして、なりふりも構わず、というより独特のなりふりを慣行していたグールドですが、エキセントリックな神話のひとつが「真夏でも手袋をはめて冬のような服装」です。
何よりもピアノを弾く手を大切にしていたからですが、持病の血行不良も深刻なものだったようです。格別にデリケートだったグールドにとっては、ハプニングからの緩衝材としても手袋は欠かせなかったでしょう。ポケットには常に2つ3つ手袋が入っていたともいいます。季節外れの過剰な防寒スタイルは、才気溢れるピアニストのエピソードとして非常に好まれたでしょう。写真や映像には、2枚重ねでパンパンの手袋姿や、厚着と手袋のグールドの様子が多く見られます。
その手袋ですが、画像でコレクションするだけでもいろいろあって、録音スタジオでピアノの上に置かれてあるもの(使い込みすぎてボロボロ)、手首が一目ゴム編みのものと手首が二目ゴム編みのもの、端っこがほつれたままのもの、薬指のあたりが広くなっている改良型みたいなもの、とりあえず長い間、必需品だったことはわかります。
手袋はグールドの実家の近所のお婆さんが編んだという話もありますが、彼にとって欠かせないものであるのなら、母親も編んでいたのかなとか、ファンからのプレゼントもあったのかな、と考えますが、手編みが珍しくもない時代、そんな話までは語られてはいません。でも、どれもデザインや機能性ほとんどが同じなのです。ひょっとするとグールドがこだわりの指定をして編んでもらっていたもののようにも見えます。こういう編み図もあったかもしれませんし、たまたま生まれた習作だったかも知れませんが、手袋神話の延長にそんなアスリートの専用仕様のような編み物があってもいいのにとも思います。

親指は付け根から出るようになっていて、防寒機能は高くない。5mmだけでも覆われていると暖かいからと、老婆心で思わずカバーしてしまいたいところです。
残りの4本指には、それぞれの指をはめるループが付いています。このループは無くてもよさそうに思えますが、どの写真を見てもこのループが付いています。
指をホールドしてしまったら運指はうっとうしくないのでしょうか。着けたり外したりもいちいち面倒くさそうだとは思うのですが、グールドのように長時間着けたままの人は別でしょう。
素材は写真では不明ですが、過敏症の芸術家には、やっぱりカシミアを使っていてほしいと思うところです。チクチクしたり毛羽が強かったりすると邪魔にもなります。私は手持ちからアルパカ入りのウール、それとヤクとコットン入りのウールを選びました。

展開図も手順もとってもシンプルです。ですが私はやけに時間がかかってしまいました。簡単を綺麗にやるのは難しい。
今年の東京に真夏の手袋は無しですが(暑い室内ではグールドだって手袋をはめてはいなかったでしょうが)まず思ったことは「なるほどこれはピアノが弾ける!」でした。親指の付け根には、思いの外しっかり感覚があるもので、人によりますが数ミリ覆われていても気になります。
ない方がいいと思った4つのループについては、どっこい、専用はさすがでした。全部はめてみると「これがあるとないとでは心の落ち着きが違う」のでした。
指を動かす場合、4本指の周りの隙間がフカフカと動くのを、このループが抑えます。些細なことですがこのホールの働きが、より自由に、指を使いたい時は大きいです。
手の細部の感覚がいかに脳と繊細に繋がっているのか、改めてその大切さを感じます。
なるほどなるほど~と独り言ち、ピアノはないし、バッハも聴くだけですが、せめてもパソコンのキーボードをダダ打ちしているとそれでも微かにグールド気分を味わえます。
