誠光社

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マリー

マリー

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いいなアメリカ ジョンとポールが歌うランディ・ニューマン

もうどうしたってプリンセス 出会った夜
巻き上げた髪 ずっと忘れない

あぁ酔ってんなぁベイビ でなけりゃ
まず言えやしないよ 「・・っちゃ大事だ」

出会った もう瞬間 すぐ
もう愛してた 今もマリー
出会った もう瞬間 すぐ
もう愛してた 今もマリー

君はソング あの木々と風の歌
君はフラワー 君はリバー 君はレインボー

たまにおいらクレイジー もう分かってんね?
なまけ弱虫 傷つけて
君の話 も聞かんしね
困った時 知らん顔

でもラヴュー

出会った もう瞬間 すぐ
もう愛してた 今もマリー
出会った もう瞬間 すぐ
もう愛してた 今もマリー

──あまりにも美しく彩られた、酔っ払いの醜態──

 ランディ・ニューマンの幼馴染みで無二の親友でもある、プロデューサーのレニー・ワロンカー。ワロンカーは、世間の誤解(そしてそこからくる非難)の非常に多いニューマンの歌の中でも、最も誤解されている歌としてこの歌「マリー」を挙げている。

レニー少年とランディ少年。切っても切れない本当に長い付き合いのお二人。

 ニューマンの傑作アルバム「グッド・オールド・ボーイズ」、冒頭の「レッドネック」「バーミンガム」そして「マリー」。これら連続する3曲は面白いことに、全て同じ男が自分の事を歌っている。

「レッドネック」とはアメリカ南部の保守的な貧困白人層を指す。南部の強い日差しの下で野外労働する白人は「首すじが赤く日焼けしている」ことからついた差別的な表現である。これら3曲を歌っているのは、世間から「レッドネック」と差別され、虐げられている男である。しかしこの歌「レッドネック」で彼は、自ら「レッドネック」を名乗り、大酒を飲み、自らを大馬鹿者と笑い飛ばし、馬鹿騒ぎを繰り広げる。また、黒人に対し直接的な差別用語「ニガー」を連発し、「俺たちはニガーを虐げる」とおおっぴらに歌い上げる。発表当時この歌は世間から強烈な反感を食らった、と聞いても「そりゃそうだ」と頷かざるを得ない酷さだ。

 そんな無頼漢のレッドネックであるが、続く「バーミンガム」では一転、自分の故郷を愛してやまない、彼の素朴な側面が語られる。そして彼の愛するこの美しい土地で、彼と出会い結婚したのが「マリー」であった。

現在のお二人。

 ニューマンのラヴ・ソングの筆頭に挙げられる傑作「マリー」。そのあまりにも美しくセンチメンタルな曲調──私の弾き語りはそれほどではない──にうっかり聞き流してしまいそうになるが、よく読むとその歌詞はアルコホルによって再び露わになったこのレッドネックのまた別の側面、新たな醜態が吐露されていた。

 ワロンカーは「マリー」に潜む、美しさと醜さとの軋轢こそを真価とし、今これを読まれているあなたが、そこの所をうっかり聞き流されてしまわぬよう、警鐘を鳴らしてくれているのである・・・おそらく。

最高傑作の誉も高い、ニューマンの傑作5th(ライブアルバムを除けば4th)コンセプトアルバム。

 かくいう私も聞き流した。感傷の大洪水に流され、なすすべもなく彼方まで運ばれた。しかし、男の醜さを認め、同情し、許すに至った今、極めて美しいと感じた楽曲の輝きはどうだろう、濁るどころか、より深く、より透明度を増した感すらある。もしかすると、ニューマンの歌につきまとう、我々の「誤解」は、このような効果を得るために必要な手順、ひとまずは正常な反応といえるのかもしれない。

レスター・ガーフィールド・マドックス・シニアは、1967年から1971年まで米国ジョージア州の第75代知事を務めた。民主党員であるマドックスは、頑固な人種差別主義者として活躍した。彼は1964年経営するアトランタのレストランで黒人の顧客にサービスを提供することを拒否し公民権法に違反した。

昨日の夜レスター・マドックスがTVショウ/囲むスマートなニューヨーク・ジュー(ユダヤ人)/そんな「ジュー」が笑ったレスター・マドックスを/客も皆んな笑ったレスター・マドックスを/そりゃ彼はフールかもでもみんなフール/「彼よりゃまし」だって?そりゃ間違い/で出掛けた公園で新聞を買って/作ったのはこんなソング・・・

「レッドネック」のヴァース(前置き)である。ニューマンはいう「『ザ・ディック・キャベット・ショウ』でレスター・マドックスを見た。彼が口を開く前から観客は彼に対し失礼だった。彼に何か馬鹿な意見を言わせてから馬鹿者扱いすべきだ、と私は思った」

 ますます人種間の分断が広がるこの世界、我々はマドックスも、ジューも、観客も、レッドネックも笑うまい。