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The Electric Yoru-Tamori Acid Test ヨルタモリ観察往復公開書簡

The Electric Yoru-Tamori Acid Test ヨルタモリ観察往復公開書簡

ミズモトアキラさんのウェブサイトにて連載された『The Electric Yoru-Tamori Acid Test ヨルタモリ観察往復公開書簡』が番組終了にあわせてZINEとしてまとまった。番組放送第12回目から第44回にあたる最終回まで、往復書簡という形式で番組の感想を伝え合うという内容で、当初私信をオープンにするような体裁にためらいもあったが、このスタイルで連載するのにはそれなりの意味があった。

同番組は毎週日曜の夜23時過ぎから放送されており、それは自分の住む京都も、ミズモトさんの住む松山も、ほぼ日本全国変わりはない。番組が終了後、できるだけ数日以内に(多々遅れることがあったがすくなくとも次回放送までには更新された)感想をしたため、メールで送信する。ウェブの連載を読んでくださっていた方も、録画していたとしても翌放送までに観る確率が高いため、ほぼ同時期に同じ番組の同じ放送回を視聴し、共有していることになる。そのこと自体が重要であって、極端な話をすれば、番組自体の内容は特に画期的でも、驚くべきチャレンジがなされていたわけでもない(十分に楽しんだけれど)。

NETFLIX上陸のニュースが記憶に新しいところだが、これまでテレビや映画館、週刊漫画誌で受容されてきたコンテンツがオンデマンドで選択できるようになった際に失われたのは、同時代、もっといえば同時間感覚である。「この前のドリフ見た?」が週明けの合言葉として通用した時代、われわれは同じ世代で同じコンテンツを共有していた。『E.T.』も『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も「こち亀」も同じものを同じ時期に見て育ったからこそ、同世代の他人同士が共感、もしくは反感することができる。膨大なコンテンツから好きなものを好きな時間に視聴しだした果てにあるのは孤独のみである。最近の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』への老若男女問わぬ熱狂ぶりは、希少になりつつある同時代性を呼び戻すような「事件」であった。テレビや映画だけではなく、ポピュラーソングも同様だ。必ずしも優れた楽曲がヒットするのではなく、皆が口ずさんだ曲がヒット曲になるのである。

「笑っていいとも!」という日本のお昼休みを貫く同時間性の象徴(「いいとも!」を録画してチェックする人は多くなかったはずだ)的番組のメインパーソナリティーを務め続けてきたタモさんは、テレビというメディアの特性をよく理解している。

番組第23回中のコントパート「日本の車窓から」(いうまでもないが「世界の車窓から」のパロディ)では、有楽町線の退屈な車窓(地下に潜るので風景が見えない)を映す途中4〜5秒間真っ黒になった画面に対して、VTR終了後、「(モニターに)自分の顔が映るんだよね」とタモさんは笑った。テレビが車窓を映す際、当然のように富士や光る海のような風光明媚な景色が映ると思っているのは、視聴者の欲望そのものなのだという、マーシャル・マクルーハン張りのテレビ論である。

とまあこんな妄想が好き勝手に綴られている。とにかく、われわれが『ヨルタモリ』という番組に観ようとしたのは、同じ時間に同じものを観ているという、テレビの特性そのものだったのだ。ひとつの「テレビの楽しみ方」として読んでいただければ幸いだ。

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