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レコードと暮らし

レコードと暮らし

最近、再びレコードに注目が集まっているという。メジャーのレコード会社が新作発売時に受注生産でアナログ盤をプレスする事例も増えているそうだ。しかしその大半はポピュラーミュジーックを収録した音楽ソフトとしての扱いで、メディアとしてのレコードはとうに忘れ去られてしまい、顧みられることも少ない。そもそもポピュラー音楽を収録したレコード、というのはその役割のごく一部を占めるものだった。

本書は、高円寺で自主制作盤を中心とした音楽ソフトや小冊子を扱うお店〈円盤〉を営む著者による、非ポピュラー音楽レコードでたどる戦後日本の生活誌である。SP盤にかわってLP盤やシングル盤が主流になりはじめたのは1950年代のこと。まさに戦後の復興期と高度経済成長期、われわれ日本人の暮らしのそばにあったメディアがレコードだった。とはいえ、国内盤LPアルバムの価格は、80年代にCDソフトにその役割を譲り渡すまでほぼ変動しておらず、つまり当時は非常に高級品。それゆえにLPに針を落とすという行為にはある種の神聖さがつきまとう行為だった。それを身近にしたのがポータブルレコードの普及と、安価なソノシートの開発。レコードショップのみならず雑誌の付録や、販売促進アイテムとして大量のソノシートにさまざまな音源が吹き込まれた。

例えば「フォノカード」とよばれる厚紙に薄いシートを貼って溝を掘り、プレイヤーで再生できるようにしたカード型レコードもそのバリエーションの一つだ。東京オリンピック開催時に新宿区が配布したフォノカードには、その都市開発の特異さを褒め称えるナレーションが収録されているが、今その内容を聞けば、強引な形で都市が急激に姿を変えてしまったことがよくわかる。

例えばビデオ再生装置が普及する以前、レコードというメディアにもエロは求められた。春歌や喘ぎ声が収録された、低予算制作のそれらは、レコード店ではなく大人の玩具屋さんなどで販売されたという。どのメディアにおいても欲望がその発達を促すというが、音楽ソフトもその例外ではなかった。

ポピュラー音楽とは、文字通り大衆を相手にした音楽である。大勢の人間が耳にし、口ずさむことでヒット曲が生まれ、その変遷は音楽メディアの「正史」をつくる。正史によれば、80年代末にLPからCDへとソフトの主流が代わり、現在ではダウンロードした音源を、さまざまなデバイスで楽しむことのできる時代だという。しかしその正史の中でも、目に見えない大衆に受け入れられたポピュラー音楽はごくごく一部で、その背景には大量の個人的な歌や、音楽ですらない録音物が存在する。それら忘れ去られた音源の点を線とつなぐことで見えてくるのは、大衆意識の変遷ではなく、個人の暮らしを明らかにする、もう一つの音楽メディア史だ。

仙台の作家、スズキヘキの童謡と話を収録した追悼盤ソノシートを紹介し、著者はこう綴る。

ここに居るということ、隣人が居るということ、そこで暮らすということ、それを継ぐ人がいるということ、その大切さを伝えると同時に、それだけで人は十分幸福なのに、そこを自意識で踏み越えてしまうと、すべてを失うことになるよと警告されているようにも感じるのです。

音楽ソフトをリリースするということは、すべて大量消費されることを目的にしているわけではない。ブラックボックスとなったソフトが目に見えない流通に乗り、顔の見えない大衆に消費される時代に、作り手が受け手の顔を意識し吹き込まれた、こういったささやかなレコードの数々は新鮮であり、これからの音楽流通のあり方を示しているかのようだ。

なぜ、どのように作られ、どのように聞かれたのか(「送り溝」より)

そういうことが問われる時代が訪れている。忘れ去られたレコードから物語を紡ぐことによって、今もなお無数に生まれ続ける名もなき音楽に物語を取り戻す試みがなされているかのような名著だ。

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