誠光社 SEIKOSHA

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『あなたを選んでくれるもの』

『あなたを選んでくれるもの』

親戚の結婚式の帰り道で、滅多に顔を出すことのない組合の講演会に呼ばれた打ち上げの席で、普段まず交わることのない人たちと接して不思議な違和感を感じることがある。その違和感は油断すれば妬みや優越感へと変化し、それを抑えようと平静に振舞うも、大抵帰り途には気まずい思いをしている。それほどまでに自分は、限られた価値体系を持った、共感のできる人たちの間だけで生きている。SNSでは関わる人間を限定することができるし、ウェブ上の違和感のある発言や書き込みは無視するか、日々量産される便利なレッテルを貼れば、嫌な気分も消化できる。

新潮クレストブックスのラインナップとして邦訳刊行されたミランダ・ジュライの『あなたを選んでくれるもの』は、そのような気まずさと、限定された人間関係をめぐる物語である。フィクションが中心のこのレーベルでは異色と言えるフォト・ドキュメンタリーのスタイルをとりながら、優れたフィクションと同等の読後感がある作品だ。

新作映画の脚本執筆や資金調達に行き詰まった著者は、際限のないネットサーフィンから逃れるがごとく、ポストに投函される冊子『ペニーセイバー』をむさぼり読み、その売買広告に魅了される。たしかに同じ地域に住んでするはずだが、その生活をイメージすることもできない人々が、価値のわからない物の買い手を求めている。しかもインターネットに頼らずに。それに惹かれ、ミランダはランダムに売り手とアポをとり、取材を試みる。

現実逃避に近い姿勢で向かったドアの向こうで、彼女は現実そのものに遭遇する。一人目の相手は60代後半になってから性転換手術をはじめた(性転換途中の)男性だった。経歴が曖昧な前科者もいれば、奇妙な「私設自然史博物館」に住む女性もいた。どの家でも彼女は違和感を感じ、できる限り優越感や妬みを抑えようと努める。

しかし、本書は「ネットでは得難い人とのふれあい」や、安易な共感を求める「隣人愛」をうたったものではない。なにせ、カメラマンの他に彼女のアシスタントを「レイプ防止」のために同行させることを冒頭から正直に告白しているし、ある人に会った際には他より多めの謝礼を払い、その理由を「今まで会った誰よりも貧乏だったから」とし、「彼ほどいやらしい優越感をかきたてる人はいなかった」と綴る。

その上で彼女は、言語化できない未分化の感情を自信の作品へとフィードバックしようと試みている。映画にせよ小説にせよパフォーマンスにせよ、彼女の作品は「コミュニケーション・フェティッシュ」とでも言えそうな感性に満ちている。好きや嫌いというシンプルな分類ではこぼれ落ちてしまう、安易な共感を超えた人間関係を模索しているのだ。

本書中、「ペニーセイバー」取材の合間に俳優ドン・ジョンソンと出演交渉のために対話した際、共感し「ほろっとして泣きそうに」なるも、

泣くのをこらえるためにお尻にぎゅっと力を入れ、頭の中で〈ファックユーファックユーファックユーファックユー〉と唱えるという裏技を駆使

する。そうして安易な共感を避けながらたどり着いた最後の共感には思わず込み上げるものがあった。違和感を抱いてしまうことを否定する必要はない。それよりもその違和感をないことにしてしまう方が偽善ではないか。ミランダ・ジュライの作品にはいつもそのようなメッセージが込められている。